2020.05.11
日常

11年間共に暮らした、愛犬との悲しい別れ

伊藤 甚宰

 4月28日、午前6時8分、突然玄関で、妻の悲痛な叫び声が聞こえました!

「小太郎が死んでる~!!?」

 朝食中だった私は、胸の鼓動を抑えながら慌てて玄関のドアを開けると、小太郎は眠っているかのように、息子夫婦のリビング窓の前の庭先で、静かに横たわっているのです。
 しかしながら、顔を見た瞬間に、私は亡くなっている事がすぐわかりました。


 昨年の秋頃から食欲がなくなり、段々と痩せてきてはいましたが、こんなにも早く亡くなってしまうとは、思いもしませんでした。
 
 4月15日に11歳の誕生日を迎え、人間で言えば約60歳位になり、老犬になってしまいましたが、あと4~5年位は私たち家族の一員として、癒してくれるものと信じていたので、とても残念で無念で、本当に悲しい別れであります。

 柴犬の小太郎は、息子が就職をしたタイミングの平成21年の4月、ペットショップで探し求めて名前を、「小太郎」と息子が命名し飼い始めました。

 私たち家族の役割は、息子がお父さんなので特に可愛がり、おばあさんの妻が毎朝散歩に連れて行く担当で、忙しさにかまけて余り世話のしなかった、おじいさんの私でしたが、毎朝毎夕、頭や体を撫でながらスキンシップを図るのが私の仕事でありました。

 私の過去のブログにも、小太郎は3回ほど、「南極物語」として登場させて頂きましたが、亡くなってから久しぶりに読み返してみると、元気だった若々しい頃の小太郎が、本当になつかしく思い出されます。


【過去のブログ】

南極物語(2011.10.17)
我が家の「南極物語」(2012.1.27)
新年明けましておめでとうございます!(2018.1.5)

 6人の孫たちにも可愛がってもらい、とてもうれしそうでした?

 11年間、数々の楽しい思い出を残してくれましたが、私は小太郎が亡くなって初めて気づかせてもらった事があります。
 亡くなった両親には怒られるかも知れませんが、小太郎は人間ではなく単なるペットの動物であります。
しかしながら、両親が亡くなった時と同じように涙が溢れ、とても辛くて悲しいのです。

 自分でも本当にびっくりしました。
 
そのくらい11年間、私たちの家族の一員となって、共に仲良く暮らしていたのだと、改めて痛感させられた思いです。 

 私たちは亡くなった小太郎を、人間と同じように葬儀を行って火葬し、小太郎は現在、両親の写真が飾ってある同じ座敷で、静かに深い眠りについております。

11年間楽しいひと時を、共に過ごしてくれて本当にありがとう!